【2017年6月版】サッカー日本代表歴代監督の年棒・戦績、そして解任!!
『絶対に負けられない戦いが、そこにはある』
どうも、sakuです!
突然ですが、みなさん
サッカー日本代表歴代監督って
ご存知でしょうか?
初代監督あたりを知らない方や
「昔、こんな人いたな〜」っと
思い出に浸る方など様々だと思います。
テレビなどでクローズアップされることがない限り
自ずと忘れ去れていく存在・・・
しかし!!
2017年現在もW杯本戦出場に向けて
日本代表監督がチームを率いて
アジア最終予選を戦っております!
しかも、最終局面!
そこで!!
本日は、最終予選を間近に控えた
サッカー日本代表戦をより一層楽しむために
歴代監督が築きあげてきた歴史を振り返りたいと思います!
主に、監督就任から解任までの流れを
サラッと説明したいと思います。
(年棒・戦績も記載あり!)
チームをまとめ、
タクトを振るってきた(振るっている)
偉大な歴代監督たちの栄光はいかに!٩( 'ω' )و
では、早速紹介していきましょう!
- ハンス・オフト監督(オランダ)
- パウロ・ロベルト・ファルカン監督(ブラジル)
- 加茂 周監督(日本)
- 岡田 武史監督(日本)
- フィリップ・トルシエ(フランス)
- ジーコ(ブラジル)
- イビチャ・オシム(ボスニア)
- 岡田 武史(日本)
- アルベルト・ザッケローニ(イタリア)
- バビエル・アギーレ(メキシコ)
- ヴァヒド・ハリルホジッチ(ボスニア)
- あとがき
ハンス・オフト監督(オランダ)
年 棒 :約7,000万
就任期間:1992年5月〜1993年10月
戦 績 :33戦 16勝 8分 9負
勝 率 :64%
プロリーグ生誕後初めての日本代表監督!
AFCアジアカップ1992
アフロアジア選手権1993で
タイトルを獲得し功績をおさめた!
ハズだったが!!
1994年のアメリカワールドカップ予選
あの有名な『ドーハの悲劇』を
巻き起こし敗退。
その後、解任となった有名な監督・・・
パウロ・ロベルト・ファルカン監督(ブラジル)
年 棒 :約1億2,000万
就任期間:1994年5月〜1994年10月
戦 績 :9戦 3勝 4分 2負
勝 率 :60%
オフト解任後、セルシオ越後通じて
日本代表監督入りを果たした、ファルカン。
ヨーロッパ路線(オフト)とは違う
南米スタイルのサッカーを取り入れた。
しかし!!
就任直後のキリン杯で、フランス代表に惨敗。
そして、ファルカンのノルマである
アジア大会ベスト4以上だったが、
準々決勝で韓国代表に敗れ、
わずか半年という短期間で解任された。
加茂 周監督(日本)
年 棒 :約7,000万
就任期間:1995年1月〜1997年10月
戦 績 :51戦 27勝 10分 14負
勝 率 :65.85%
ファルカン時代に
「コミュニュニケーション不足」が
問題になったことから、日本人監督を採用!
最も実績のある監督として選ばれた。
当時流行りの『ゾーンプレス』戦術を駆使し、
「個」ではなく「組織プレー」を推進した。
しかし!!
フランスワールドカップで
予選通過が危ぶまれる中、
1997年10月、アウェイのカザフスタン戦。
1点リードしながらも、
後半アディショナルタイムに
痛恨の同点ゴールを決められ
引き分けに終わる。
その後すぐ、現地で更迭された。
アジア最終予選途中で解任された監督は、
日本歴史上初・・・
岡田 武史監督(日本)
年 棒 :約5,000万
就任期間:1997年10月〜1998年6月
戦 績 :19戦 9勝 4分 6負
勝 率 :60%
加茂更迭後、ヘッドコーチから
昇格した岡田監督。
もちろん、アジア最終予選途中から。
日本代表から外されていた
中山雅史を再招集しテコ入れを実施。
それが功を奏し、日本は息を吹き返す。
最終的に、イラン代表とのプレーオフの末、
日本代表初のW杯本戦出場を勝ち取った!
(ジョホールバルの歓喜)
しかし・・・・
フランスワールドカップ本大会では
「グループリーグ1勝1分1敗の勝点4で決勝トーナメント入りを目指す」
といいつつ、3戦全敗を喫す。
大会終了後、代表監督を退任した。
フィリップ・トルシエ(フランス)
年 棒 :約9,000万
就任期間:1998年10月〜2002年6月
戦 績 :52戦 24勝 17分 11負
勝 率 :68.57%
当時、名古屋グランパス監督の
アーセン・ベンゲル(現アーセナル監督)からの推薦を受け、
ファルカンから実に5年振り
3人目となる外国人監督に就任。
アフリカ監督時代は、
「白い魔術師」と呼ばれ、
華々しい成績を収め、高く評価されていた。
日本代表監督就任後も・・・
1999年の FIFAワールド・ユース選手権ナイジェリアで準優勝。
2000年のシドニー・オリンピック5位。
2000年のアジア・カップ優勝。
2001年FIFAコンフェデレーションカップ準優勝。
2002年FIFAワールドカップ本大会出場。
日本代表初のグループリーグ突破!
日韓大会ベスト16
っと、歴代圧倒的な成績を残した!
(日本代表から中村俊輔を外したことでも有名。)
しかし・・・
決勝トーナメント1回戦
トルコ戦に0−1で敗れ、W杯終了後まもなく監督を退任する。
ジーコ(ブラジル)
年 棒 :約2億2,000万
就任期間:2002年7月〜2006年6月
戦 績 :72戦 38勝 15分 19負(歴代最多勝利)
勝 率 :66.67%
トルシエの後任として、日本代表に就任。
当時、日本代表監督としては最高額の年棒。
監督経験はなかったものの、
ブラジル代表のスタッフを務めた経験と
鹿島でのテクニカルディレクターの
実績を買われ監督になった。
AFCアジアカップ2004優勝を導く
立役者になる。
ヨルダン戦、守護神川口能活の
神がかったPKセーブ連発劇は
記憶に新しいだろう。
他にも、ブラジル・ドイツ代表など
強豪国に引き分けを
するなど好成績を収めている。
勝利数38は歴代最高!!
しかし!!
選手の自主性を尊重するがあまり、
細かな規律を設けないジーコは
次第に波紋を呼ぶようになる。
2006年W杯では2敗1分と
グループ最下位という結果に終わり、W杯終了後退任。
↓敗退後、有名なシーン(中田英寿)
イビチャ・オシム(ボスニア)
年 棒 :約9,000万
就任期間:2006年8月〜2007年11月
戦 績 :20戦 12勝 5分 3負
勝 率 :80%(歴代最高勝率)
ジェフ千葉の監督時代に
初のタイトルをもたらした
実績のある人物。
Jリーグシーズン中に異例の形で
監督に就任した異端児。
「日本のサッカーとは何か?」っと
議論を投げかけ、
「考えて走るサッカー」と
「パスサッカー」に重きを置いた。
アジアカップ2007では、4位の結果に終わる。
その後・・・・
自宅で脳梗塞に倒れ、
一時は生死を彷徨う危篤状態に陥る。
奇跡的に回復したものの、
監督を続行できる状態ではないため退任した。
悲劇の監督。
岡田 武史(日本)
年 棒 :約8,000万
就任期間:2008年1月〜2010年6月
戦 績 :50戦 26勝 11分 13負
勝 率 :70.27%
オシム退任後、緊急登板として
再度監督に起用された。
オシムのパスサッカーから
守備寄りの戦術に転換したが、
あまりいい成績を収めることが
できなかったため、非難が多かった。
しかし!!
その守備への方向転換が功を奏し、
W杯本大会では、
グループリーグ2勝1敗という結果を残し予選突破を果たす!!
(国外大会初)
↓当時全盛期の本田↓
決勝トーナメントでは、
パラグアイ代表とPK戦の末敗退し、
ベスト8進出を果たせなかったものの、
称賛の嵐だった。
そして、大会終了後契約満了のため退任を決意。
アルベルト・ザッケローニ(イタリア)
年 棒 :約2億5,000万
就任期間:2010年10月〜2014年6月
戦 績 :56戦 31勝 12分 13負
勝 率 :70.45%
ACミラン、インテル、ユヴェントスと
世界の名門クラブの監督経験を買われ
初の代表チームとして、日本代表監督に就任。
就任後1年間、無敗記録を更新した。
(合計16試合連続無敗。)
選手からも、かなり慕われている監督だった。
2014年ブラジルW杯アジア最終予選は
5勝2分1敗の成績でグループ1位通過を果たす!
この時、5大会連続となるW杯出場を決めた。
しかし!!
本大会のグループリーグでは
2敗1分と勝ち点1のみに終わり、
あえなく終了。
大一番で結果を残せず、大会終了後退任する。
バビエル・アギーレ(メキシコ)
年 棒 :約2億
就任期間:2014年7月〜2015年2月
戦 績 :10戦 6勝 2分 2負
勝 率 :60%
オサスナ、アトレティコ・マドリード、
サラゴサ、エスパニョールなど、
スペインの名門クラブでの指揮を執った
実績を持つ人物だったが・・・
2011年に指揮していたサラゴサの
リーガ残留をかけた戦いに
八百長疑惑が浮上し、スペイン検察当局から
疑いがあるとし告発された。
アジアカップ2015のグループステージを
無失点3連勝を収めたものの、
決勝トーナメント準々決勝では
格下のUAE相手にPK戦で敗れ、敗退。
瞬く間に信用を失ったアギーレは
2015年、日本サッカー協会から
契約解除された。
ヴァヒド・ハリルホジッチ(ボスニア)
年 棒 :約2億7,000万円(歴代最高額)
就任期間:2015年3月〜
戦 績 :25戦 17勝 5分 3負(2017年4月時点)
勝 率 :68%
代表監督経験での実績が豊富なハリルは
その実力を日本サッカー協会から買われ、
日本代表監督に就任。
オシムと同郷のハリルは、友好関係も深い。
3ヶ月に及ぶ日本視察を行い、
W杯日本代表選手を抜擢。
2016年9月から始まった
アジア最終予選では、
初戦、ホームグラウンドでUAEに破れるも
5勝1分1敗と首位をキープ!(2017年3月時点)
混戦する最終予選において、
6大会連続W杯本大会出場を
手にすることができるのか!?
乞うご期待!!
あとがき
あたなは、どの監督が
一番印象に残っているでしょうか?
日本代表監督は
掲げた目標を達成できないと
すぐに解任されてしまうシビアな世界。
それだけ、日本のファンやサポーター、
メディアから注目されている証拠です。
日本代表監督への『期待』と『重圧』。
本当に計り知れないです。
選手のためにも、日本のためにも
しっかり功績を残していただきたいです!!
そして!!
2017年6月13日から再始動!!
『絶対に負けられない戦い』が繰り広げられます!!
(日本×イラク:アウェイ)
ぜひ皆さん、日本代表を応援しましょう!!
そして、一緒に喜びを分かち合いましょう(*´∇`*)/
ではでは〜
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